産業考古学は、産業遺物・遺跡=産業遺産の調査、保存および記録を行い、その資料を研究対象として、文献研究だけでは十分に知りえない過去の産業発展の実態を解明し、その歴史的意義を探求します。産業遺産の調査は、物の調査であるとともに情報の収集であり、物の保存は必ず情報の保存を伴わなければなりません。したがって、これから地方史(郷土史)、民俗学(民具学)、技術史、産業史、社会・経済史、経営史など歴史学を進めるには、産業遺産の調査、それに関連する情報の研究、そして、物と情報の保存、記録が欠かせず、それぞれの立場の人々との共同研究によって成り立っています。
産業考古学の主たる研究対象であり、調査、保存および記録をしなければならない産業遺産とは、多種多様な過去の生産活動の遺産の中で、特に重要で、歴史的・技術的・文化的に意義のある物です。その中には、(1)景観、(2)鉱山、炭鉱などの遺跡、(3)施設、構造物、(4)建物や設備、(5)機械、道具および工具、(6)製品、部品類、(7)材料、試料、(8)模型、標本、(9)写真、映画、ビデオなど、(10)図面、仕様書など、(11)カタログや経営資料など文書類、さらに、(12)顕著な功績をあげた経営者や、物をつくり、使った人、職人や技術者に関わる資料、遺品なども含めてもよいでしょう。要約すれば、過去の産業活動の中で残された有形の資料(証拠物)の総体が産業遺産です。
長い人間の生産活動の中で、当然のことながら生産品の変遷が進み、消えていった品々も多く、また、古い工場や生産設備の多くは先の戦争によって破壊され、さらにその後も、急速な技術革新、産業構造の変化による設備の更新や新事業への転換の中で、産業資料の保存への配慮も一部を除いて必ずしも十分でなく、貴重な資料の散逸、滅失がある程度進んだことは否めません。
1950年代にイギリスでアマチュア史家たちによってはじまった産業考古学活動は1969年に日本へ伝えられました。わが国では、考古学というと、古い建物あるいは埋蔵文化財に多くの人の目が向いていて、産業考古学への関心や理解は低く、貴重な産業遺産がその価値に気付かれることなく失われることもあります。このような状況を憂慮した人々が全国から集まり、1977(昭和52)年に産業考古学会が創立されました。その後約25年間、産業考古学会関西支部として近畿地域在住の会員によって活動が行われてきました。
しかしながら、近畿地域でより密度の高い活動を進めるには、活動主体をこの地に置いて、組織規程や財政基盤を確立し、近畿地域の身近な産業遺産に関心をもつ多くの人々に呼びかけ、地域に根差した活動を行い、遺産の価値を科学的に評価し、その周知をはかり、結果として産業遺産が保存されるようにすることが必要だと考えました。そこで、それに相応しい組織を確立することになり、2005年6月25日に産業考古学会関西支部を解消し、「近畿産業考古学会」を設立しました。
「近畿産業考古学会」は、産業遺産の調査、保存、記録および研究に関心をもたれるあらゆる職業の、また色々な分野の同好の士が参加できる開かれた学会です。個人でも、企業や博物館など法人でも、会員になることができます。また、この地域の産業遺産に関心のある人ならば、近畿在住でなくても一緒に活動したいと考えています。多くの方の参加をお待ちしています。